川畑静はパプアニューギニアでビッグマンと呼ばれ尊敬されていた!世界ナゼそこに?

おはようからこんばんは!オモナガです。

日本から遥か南へ移動して、

南西太平洋地域にあるパプアニューギニア。

日本人である川畑静さんは、

この地でビッグマンと呼ばれていて、

現地の人から感謝・尊敬されているとのこと。

そして、

エリザベス女王から勲章を頂いたこともあるんですね!

とても大きな偉業を成し遂げた方のようです。

日本から遠く離れたパプアニューギニアで、

どのような貢献をされてきたのでしょうか?

記事の内容を、以下の通りに調べてみました。

是非、一緒に知見を広めていきましょう^^

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川畑静の経歴やプロフィールについて

出典:https://www.yahoo.co.jp/

名前:川畑静

生年月日:1926年

出身地:長崎県

最終学歴:京都府立第二中学校

大正15年の長崎県に生まれた川畑静さん。

1939年に起きた第二次世界大戦により、

京都府立京都第二中学校(現鳥羽高等学校)を卒業後、

海軍航空隊甲種予備練に入隊しました。

人間魚雷『回転』の特攻要因として、

山口県にある光基地に配備されたんですね。

以下の画像は、回転一型のレプリカです。

この中に人が乗り込み、敵艦へ特攻され

幾人もの命が犠牲になられたとか…

同じ人間が考えたとは、到底思えない兵器です。

想像するだけでも恐ろしいですね。

出典:http://www.noguchi-ken.com/

しかし、出撃6日前の出来事です。

第二次世界大戦が1945年に終戦を迎えました。

奇跡的にも、川畑静さんは助かったんですね!

そして、戦後の当時、19歳だった川畑静さん。

撮影技師(ムービーカメラマン)や

ジャーナリストとして活動を開始します。

国内でも多くの場所を訪れたそうですが、

川畑静さんが子どもの頃から憧れていた、

南の島の王になる少年の物語『冒険ダン吉』の影響により、

奥アマゾン探求隊などに参加。

世界各地を回りはじめます。

様々な場所で活躍していた川畑静さんですが、

パプアニューギニアの出張がきっかけで、

人生の転機が訪れます。

1971年、パプアニューギニアの出来事です。

川畑静さんは、

東京農大の探求部の学生4人を連れて、

現代文明と交わったことのない

「未接触民族」の取材に成功させました。

こちら、1971年に川畑静さんが、

セピック川の支流エイプリル川を遡って、

現地の人たちと遭遇したときの写真画像です。

出典:http://pic.or.jp/

「未接触民族」に遭遇した川畑静さんは、

敵ではないことを伝えるのに、相当苦労したんだそう。

なんとか一か月間、共に生活したそうですが、

ある日、民族の一人に、体調を崩したものが出ました。

そこで薬をあげようとしたところ、毒薬と間違えられ

彼らは散って、どこかへ行ってしまったとか。

同じ文明人でさえ分かり合えない事が多いのに、

全く文明の違う人と分かり合うのは、相当難しそうですね汗

川畑静さんはかなり貴重な体験をされてきたようです。

その後、川畑静さんは一度、パプアニューギニアを離れますが、

1973年、2回目はブーゲンビルに訪れます。

ブーゲンビルは、第二次世界大戦の局面の1つである

太平洋戦争の地で有名です。

日本人は13万人、現地の人たちは5万人犠牲になられたとか。

戦後、そのブーゲンビルで、

亡くなられた方の取材を行ったとのことです。

この2つの出来事などがきっかけで、

パプアニューギニアの出入りが多く、

知名度があがってきた川畑静さんに声が掛かります。

ウェワクに、パプアニューギニアで生き残った日本人たちが、

英国人から買い取ったホテルを経営してたんですね。

そのホテルを1,2カ月面倒をみてくれと頼まれることになります。

1,2か月くらいならと、

軽はずみな気持ちで快諾した川畑静さんですが、

ホテルは当時5,000万円の借金を抱えて悲惨な状況…

このホテルをつぶしたくないという

薩摩がくれた「チェスト」精神が芽生え、

ウェワクに居を構える決断をしたんだそうです。

普通の人なら、逃げ出したくなる状況かなと思いますね。

川畑静さんは、現地の女性と結婚。

無我夢中でホテルの仕事をこなし、

「ニュー・ウェワク・ホテル」の借金を

20年間かけて返し続けたんですね。

ジャーナリストからホテルオーナーという畑違いの仕事をされて、

借金を返した実績や才能は、眼を見張るものがありますね!

因みに、薩摩の「チェスト」精神というのは、

川畑静さんのご両親が、鹿児島出身とのことです。

そこが、川畑静さんの原点になっているとコメントされていました。

お子さんは、調べた情報によると3人はいるようです。

そして2018年、

川畑静さんは91歳で息を引き取りました。

年齢的には寿命かと思われますが、残念です。

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パプアニューギニアは伝統を重んじ、自然豊かな大地

出典:https://moneliy.jp

以下、パプアニューギニアについて、

グーグルの概要になります。

パプアニューギニアは南西太平洋地域にあり、

ニューギニア島の東半分と周辺の島々からなる国です。

文化の多様性だけでなく、生物の多様性も誇る国で、

ビーチやサンゴ礁でも有名です。

内陸部には活火山の他、花崗岩のヴィルヘルム山、

草木の生い茂る熱帯雨林、

ココダトレイルといったハイキングルートもあります。

また、伝統的な部族の村も残っており、

その多くは独自の言語を持っています。

引用:https://www.google.com/

※花崗岩(かこうがん)

面積は日本の約1.25倍。

世界銀行の調査によると、人口は年々増え続け、

現在は約825万人(2017年)なんだそうです。

日本の人口が大体1億2千万人に対して、

かなり少ないイメージですよね。

これだけの情報だと素敵な場所なのですが、

観光には十分注意が必要です。

以下、2018年に公開されている

外務省海外安全ホームページの画像です。

出典:https://www.anzen.mofa.go.jp/

この黄色い表示は、

地域危険レベル4段階中のレベル1です。

パプアニューギニアの滞在は危険な状況で、

治安があまり良くないことを示しています。

観光など考えている方は、情報収集を怠らず、

なるべく1人で行くのは避けるようにしましょう。

詳細な情報は、以下のホームページがおすすめです。

外務省 海外安全ホームページ

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川畑静さんがビッグマンと呼ばれ、尊敬されている理由とは?

出典:https://png-japan.co.jp/

「ニュー・ウェワク・ホテル」のオーナーをされていた川畑静さん。

観光という産業を根付かせ、現地の人を大勢雇い、

彼らの生活を豊かにしたかったとか。

5,000万円の借金返済よりも、

こちらの目的の方が、大きかったのかもしれませんね。

スタッフの中には、身寄りがない方も多く

川畑静さん自身が育てた人も多いそうです。

いつしか川畑静さんは「ビッグマン」とよばれ、

人々に尊敬されるようになりました。

川畑静は安部総理大臣と会談していた!

川畑静さんは、ホテル支配人以外にも活動をしており、

日本人による遺骨収集や慰霊巡拝に、長年にわたり、

献身的な協力をされてこられたんですね。

恐らく、ニュー・ウェワク・ホテルを拠点にされたのでしょう。

その一環として、

終戦70周年を記念する慰霊事業に関する協力依頼とのことで、

安部総理大臣と会談されたとのこと。

こちらが、

安部総理大臣と一緒に撮った写真画像です。

出典:http://www.gokoku.gr.jp/

日本とパプアニューギニアを繋ぐ橋渡しとして、

様々な形で貢献された川畑静さん。

大きな財産を日本に残してくれましたね。

機会があれば、

パプアニューギニアにも訪れてみたいものです。

世界ナゼそこに?日本人【予告】

2019年3月18日21:00~放送

世界のナゼそこに?日本人予告になります。

ある偉業を成し遂げたことで

パプアニューギニアの人々から

”ビッグマン”と呼ばれ尊敬されている男性。

英雄と称される一方で

「生き恥をさらした」と語る、

その波乱万丈の人生とは?

引用:https://www.tv-tokyo.co.jp/nazesoko/

波乱万丈な人生とは思いますが、気になる予告ですね。

気になる内容は、番組で確認してみてください!

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ビッグマンと呼ばれた川畑静についてのまとめ

戦争をぎりぎり免れ、

ジャーナリストとして活躍された川畑静さん。

「ニュー・ウェワク・ホテル」を盛りたてて、

パプアニューギニアと日本の橋渡しになり、

両国に大きく貢献されてきた偉大な方でした。

このような方を知れたこと、とても良かったです。

是非、番組をご覧になってみてください^^

最後まで読んで頂き、

ありがとうございました。

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